皆さん体調はいかがでしょうか?
私は父親が死んで会社を継ぎ、社長になってからストレスと疲労で体がボロボロになりました。
その結果大腸がんになってしまい、手術して人工肛門になりました。
そのときの体験を語ります。
Contents
わたしが大腸がんになった原因はストレスだった
父親が会社を経営しており、関連企業に18歳で入社しましたが、親の知名度のストレスからから喫煙をはじめました。
20歳から30歳までシンガポールに合弁会社があり、技術派遣社員として派遣されました。
23歳からは現地日系企業との交渉、26歳までは2名体制でしたが26歳からは1人体制になってしまいました。
日系企業の買収に伴う現地法人化、現地採用化等があり、アルコールが飲めないことからストレス発散のため、強いタバコを吸うようになってしまいました。
父親の会社は弟が継ぐ予定でしたが、29歳の時に父親が癌で余命1年と知らされて30歳の時に急遽帰国、父親の会社に入社跡継ぎの準備をしました。
その年の10月に父親が他界、社長としての業務をはじめましたが、赤字続きでストレスはますます増え、ストレスから私生活も不摂生が増え、生まれつきの魚嫌い、揚げ物好きで非常に非健康的な状態になりました。
仕事柄3月に仕事のピーク(2ヶ月分)の受注が入り、納品が間に合わずに親会社の担当者がピストン輸送する状態が毎年繰り返す状態になってしまいました。
社長になって17目に隣のホームセンターが廃業して、床面積も広いことからダメ元で店舗の借家をお願いした所、借家することができましたが2年目に親会社が不景気になり、設備投資が裏目に出て会社を閉鎖しました。
この間、朝ご飯抜きまたはコーヒーのみ、ジャンクフードの昼食、晩御飯は時に10時過ぎの状態でした。
便秘や血便は大腸がんの前触れだった
平成54年7月から吐き気から物が食べられず、便秘がちになり排便しても血便が出るようになりました。
寝床に嘔吐用のバケツを用意しないと安心して眠れない状態になってしまい、車の運転もままならない状態から仕事も休まざるを得ない症状が月に1回の頻度で起こるようになりました。
近くの総合病院で診察を受けましたが、血便が出ているにもかかわらず、胃の病気を疑ってばかりで胃カメラまで受けました。
しかし胃には異常は確認されず、投薬もされない状態でした。
吐き気で食事ができず、血便がでて、そんな状態でも、胃の病気を疑ってばかりで投薬もされませんでした。
全然良くならない状態に病院を疑い、11月に他の病院で診察した所、大腸閉塞=大腸がんで緊急入院となりました。
手術を行いたくても閉塞があるため閉塞が解消して、食事ができるまでの間、約1ヶ月点滴のみでの生活となってしまいました。
閉塞が解消して手術ができたのが12月8日、人工肛門になってしまいました。
術後2日めから流動食、おかゆになりましたが点滴によるダイエット(80キロ近くあった体重が60キロ)のリバウンドから暴食をしてしまい、再度閉塞を発症して点滴から重湯、おかゆメニューになってしまい結局退院できたのは12月28日でした。
ちなみに点滴の針が1日で詰まってしまって、ベテラン看護師さんからしか針がさせない状態でした。
大腸がんの治療方法として行ったこと
大腸閉塞の手術で解消するまで点滴、ただただベッドの上の天井を見たままの生活。
いままで吸っていたタバコへの欲求はひどく、「タバコが恋しい」と思っても敷地内は禁煙、しかも自由に動けず、どこでで吸っても火災警報機で、自分は点滴に繋がれて寝たまま。何もできない。
主治医からは『生き延びる』ための「一時的に直腸につなげるための手術」、ということ。
憎い腸閉塞と対決の決心。
手術での切除。
手術室まで歩き、ベッドに横になります。
寝方はネコのように丸くかがんだ体制です。
麻酔は背中から入れるようで「チクっとしますよ」との言葉を聞いて、痛みを感じた瞬間、何もかも無くなったようにフワッと意識が消えてしまいました。
後で家族から聞いた話、8時間以上かけて無事摘出。
なにより「生きて」帰れてよかったと思いました。
麻酔中に見た夢はあまり覚えていません。
しかし、時計の針がグルングルン回っている夢のあとに、誰かが「○○さん・・・(名前)・・・起きてください。・・・りましたよ」と、起こされ、「生きている」と実感できました。
術後入らねばならないICUで心配して涙ぐんでいた娘、祖母、親戚をぼんやり覚えています。
その後、麻酔が体に合わず、麻酔を続けると低血圧になってしまい、麻酔が外れ、血圧とのにらめっこで、麻酔の注入ができずかなり大変でした。
指には血中の酸素を測る装置、右に左に痛み止め・点滴の山。
目が回るような薬の山。
「あぁ、ここから出れる。」と思い、退院まで過ごしました。
後の病理解剖で閉塞の元はただの詰まりではなく、立派な大腸ガンで、リンパ節に転移に転移が確認され、大腸に腫瘍ができやすい体質との医者の判断から、大腸の完全な摘出、リンパ線の手術を受け、小腸出口に人工肛門の手術を受け、今はオストメイト生活(人工肛門生活)です。
幸いなことに、小腸の出口に作られたため、臭気の問題で悩むことはありませんでしたが、わずらわしいのはオストメイトのたまり物の排出、交換です。
もう一つ挙げるとしたら、前まで好きだった温泉に浸かることと、車いす専用トイレに入る時。
不潔と外見で断られることがこわいことと、「怠け」だと聞いたという買い物と同行する娘の証言。
オストメイトは、対応した温泉に入ることができます。
視線は痛いかもしれませんが、温泉に入ると「汚い」と思うのは一昔前の発想です、しかし未だに温泉にはいけません。
オストメイトの対応トイレも増加しており、中は広く、人工肛門のたまり物を楽に排泄できます。
オストメイトの方も、身体が不自由な人も使えて嬉しいと思いました。
オストメイトの方も車いす専用トイレや公共の場(温泉施設)を使っても決して「なまけ」や「不潔」ではありません。
手洗いにもしっかり、オストメイトマークもあり、入りやすくなったと思います。
ただし、ガスもオストメイトの袋に入るため、ガスが出やすい食事を多く取りすぎるとオストメイトの糊が剥がれ、排出物が漏れて肌着を汚す(特に就寝中)ことが難点です。
大腸がんの治療の効果や費用について
症状はどれくらい改善したか?
食生活を始め、オストメイトの管理以外は通常の生活ができるようになりました。
その3週間後には仕事にも復帰できる状態でした。
大腸がんの治療にかかった日数
7月から12月まで約5ヶ月かかりました
大腸がんの治療にかかった費用
約70万円、高額医療で8万円でした。
大腸がんに悩んでる人へのアドバイス!
喫煙、不摂生、食生活の乱れは厳禁です。
規則正しい生活を送るように心がけてください。
人間ドックは費用もかかりますができる限り受けたほうがいいです。
会社または市町村実施の健康診断で異常が見つかったら躊躇せずに医療機関にかかってください。
早期の場合でしたら内視鏡によるポリープの切除で済む場合がほとんどです。
1泊2日で医療費もかからずに済ますことが可能です。
一番危険なのが「私は大丈夫」だと思います。
事実大腸閉塞になるまで私は30年異常医者とは無縁でした。
病魔は音もなく忍び寄ります。
病弱で医者にかかっていた友人のほうが私より健康で過ごしているのは皮肉としか言いようがありません。
皆さん日頃の健康管理、規則正しい生活、定期的な健康診断、できれば人間ドックを特に45歳過ぎになったら心がけてください。
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